うつ病悪化の業務起因性判断と労災認定基準の「特別な出来事」

【国・岐阜労基署長(アピコ関連会社)事件・名古屋高判平28.12.1-30代男性が未経験であった営業業務に従事し、うつ病発病後の出張の繰り返し、営業成績の不振、業務上のミスと叱責、長時間労働に従事したことにより、自殺した事案】

 本件は、現場清掃業務に従事していた30代男性が、平成21年4月に未経験であった営業を命じられて清掃用品を販売していたが、同年8月頃にうつ病を発病し、同年10月以降は、平日に関東方面へ出張営業したのに売上を伸ばすことができず、平成22年1月に価格算定に関するミスをして取締役から叱責を受け、自殺前1か月間に108時間30分の時間外労働に従事していたところ、同年2月頃に別の取締役より営業から現場清掃に戻ることを打診されたことから、同月28日の勤務途中に失踪し、翌3月1日に自家用車内で豆炭を燃焼させ、一酸化炭素中毒により死亡したという事案です。

 本件では、発病前の業務起因性が否定されたのですが、①発病後にうつ病が悪化したと認められるか、②悪化の業務起因性判断において労災認定基準のいう「特別な出来事」を要するのかが主な争点となりました。

 第1の争点について、国は、中等症うつ病を発病してから自殺に至るまで自然経過の範囲内であると主張しました。問題になった事例は、平成21年12月と22年1月の自動車事故の繰り返しと、汗臭くなり、シャツの襟元や袖口が黒く汚れて身なりに気を遣わなくなったことであり、これが「思考力や集中力の低下」という新たな症状が出現したもので、症状数の増加がうつ病の悪化といえるのかという点です。名古屋高裁判決はこれを肯定し、中等症の枠内での病相の変化と捉えるとしても、うつ病の悪化であると評価しました。

 そうすると、第2の争点として、うつ病悪化の業務起因性が問題となります。

 まず労災認定基準を確認しましょう。業務による心理的負荷が極度と認められる「特別な出来事」については、発病前では業務以外の心理的負荷要因や個体側要因を考慮することなく、心理的負荷の強度を「強」と評価し、対象の精神障害を発病していれば、「業務上」の疾病と判断します。発病後では精神障害悪化の業務起因性を肯定することとなります。その「特別な出来事」は次のとおり例示されています。

  1. 生死に関わる、極度の苦痛を伴う、または永久労働不能となる後遺障害を残す業務上の病気やケガをした(業務上の傷病により6か月を超えて療養中に症状が急変し極度の苦痛を伴った場合を含む)。
  2. 業務に関連し、他人を死亡させ、または生死に関わる重大なケガを負わせた(故意によるものを除く)。
  3. 強姦や、本人の意思を抑圧して行われたわいせつ行為などのセクシュアルハラスメントを受けた。
  4. 発病直前の1か月におおむね160時間を超えるような、又はこれに満たない期間にこれと同程度の(例えば3週間におおむね120時間以上)時間外・休日労働を行った(休憩時間は少ないが手待ち時間が多い場合等、労働密度が特に低い場合を除く)。

 発病後の業務による心理的負荷がこの労災認定基準に該当しないことは明らかであり、判決も「特別な出来事」に該当するとは述べていません。ただ、名古屋高裁判決は、結論として心理的負荷の総合評価を「強」と判断しました。そこで、心理的負荷が極度である「特別な出来事」がなくても、うつ病悪化の業務起因性を認めるのかが争点となりました。

 一審の名古屋地裁判決は、「既に精神障害を発症している者については、発症後、死亡前6か月の間に同様の心理的負荷が生じる出来事があっても、既に精神障害を発症しているという一事をもって業務起因性は否定される」という「判断が精神科医等の専門家の間で広く受け入れられている医学的知見であるとは認められず、既に精神障害を発症している者に、健常者でさえ精神障害を発症するような心理的負荷の強度が『強』と認められる出来事があった場合であっても、『特別な出来事』がなければ一律に業務起因性を否定するということには合理性がない」とし、悪化の業務起因性を認めました。名古屋高裁判決もこの判示を引用しています。

 これに対し、国は控訴し、2名の精神科医が作成した医学意見書を証拠として提出しました。

 このうちA医師は次のとおり意見を述べ、これに沿い、国は、具体的出来事の心理的負荷の評価に当たり、当該出来事後の変化、当該出来事への対処について、精神障害の発病による症状の影響が介在するから、実質的に本人を基準に評価するものになりかねないと主張しました。

 うつ病発病後においては、心理的反応性の欠如という精神的脆弱性が極めて強いうつ病者と健常者を同様に評価はできない。うつ病発病後は、業務を遂行するうえで、作業能率が下がったり、注意集中が持続しなかったり、ミスが増えたりすることで、仕事の成果は低下する。結果として、周囲とのトラブルや本人の遂行能力の低下による要因によって、出来事自体が増加してしまうことは、しばしば経験される。従って、うつ病発病以降の出来事評価は、心理的反応性の低下という側面に加え、健常者と同様の視点では行えず、健常者における心理的負荷をそのまま当てはめることは困難であり、不合理である。

 この主張に対し、名古屋高裁判決は、「認定基準の別表1(業務による心理的負荷評価表)は、精神障害の成因を考えるに当たって依拠する『ストレス-脆弱性』理論と労災保険制度における危険責任の法理の趣旨を踏まえ、個体側の脆弱性を客観的に把握することは困難であるため、精神健康を害するストレスの強度をできるだけ客観化し、迅速かつ公正な業務上外の審査を行うために策定されたものであり、認定基準は、上記別表に掲げられ客観化された各出来事のうち、『特別な出来事』に該当する出来事がない場合でも、『具体的出来事』ごとに客観化された心理的負荷の強度やこれに基づく総合評価ないし全体評価等を経て、その心理的負荷の評価が『強』と判断される場合を、労働者に生じた精神障害を業務上の疾病として扱う要件の一つとしている」ことから「すると、その心理的負荷の評価が『強』と判断される業務上の『具体的出来事』(括弧内略)は、労働者の個体側要因である脆弱性の程度にかかわらず、平均的な労働者にとって、業務による『強い心理的負荷』であり、精神障害を発病させる危険性を有すると認められるのであるから、既にうつ病を発病した労働者にとっても、当該『具体的出来事』自体の心理的負荷は『強』と判断されるはずである」と反論しました。そして、「認定基準自体、精神健康を害するストレスの強度をできるだけ客観化するために、同種労働者が一般的にどう受け止めるかという視点から策定されているものであり、この点は、当該出来事後の変化や当該出来事への対処についても、同様と考えられるから」、実質的に本人を基準に評価するとの主張は採用できないと判断しました。

 次に、もう一人のK医師は次のとおり意見を述べました。

 心理的負荷がなくとも精神障害の悪化に至ることは日常臨床的には、よく遭遇するところである。したがって、既に精神障害を発病している者が、業務による心理的負荷が「強」となる出来事によって症状が悪化したとしても、その出来事が、症状の悪化と因果関係があると断定できないのは、精神医学的知見によるものである。精神障害を発病している者は生活の中で遭遇する些細な出来事にも過大に反応する傾向があり、その他、生物学的要因による精神障害の自然的悪化だけでなく、薬物治療を行っている間の断薬や減薬、治療薬変更により病状が悪化する場合もあることなどを含めて、精神障害の悪化と業務との間に相当因果関係が存在するか否かを検討しなければならないところ、精神障害の生物学的な原因(脳機能の障害を有する)が特定されつつある現在の医学的観点を踏まえると、精神障害の病状が揺れ動きながら推移している状況の中で、たまたま業務において「強い心理的負荷」に遭遇したからといって、それが悪化の有力原因であるとは、医学的根拠をもって断定できない。(「ストレス-脆弱性」理論を踏まえると)精神障害の悪化の場合には、すでに述べたように、精神障害を発病していない者が精神障害を発病する場合に比べて、個体の反応性、脆弱性(個体側要因)の割合が大きくなっているのであるから、既に精神障害を発病している労働者が、精神障害を発病していない者が精神障害を発病する程度の心理的負荷を伴う出来事に遭遇して精神障害を悪化させたとしても、精神医学的には、業務上の心理的負荷が悪化の有力原因であるということはできず、個体側要因の方が相対的に有力であると判断されるため、それを上回る程度の業務上の心理的負荷が認められる場合にのみ、業務起因性を認めるべきである。

 この医学意見につき、名古屋高裁判決は、「業務における『強い心理的負荷』に遭遇した場合に、それが悪化の有力原因であると医学的に断定できないとしても、個体側要因との比較において、直ちに、かつ、一律に個体側要因の方が相対的に有力であるとの結論を導くことができるかについては疑問がある」とし、その理由は「業務における『強い心理的負荷』も、健常者を精神障害の発病に至らせるだけの強い起因性を有する事情だからである」と反論しました。他方、「既に精神障害を発病(括弧内略)している者が、業務において、健常者を精神障害の発病に至らせるだけの『強い心理的負荷』に遭遇し、既に発病していた精神障害が悪化した場合に、原則として業務に内在する危険の現実化(業務起因性がある)と捉え、相当因果関係があるとまでいえるかは議論の余地があり、当該業務上の心理的負荷の程度、業務外の心理的負荷の有無・程度、個体側の要因等を総合的に検討して、相当因果関係の有無を判断する」と指摘しました。

 すなわち、名古屋高裁判決は、K医師の見解は採用しないが、だからといって心理的負荷の総合評価が「強」であれば当然にうつ病悪化の業務起因性を認めるのではなく、総合判断をすると述べたものです。「ストレス-脆弱性」理論(環境由来のストレスと個体側の反応性、脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まるという考え方)からすると、判決は特別な見解を示したわけではありません。

 ところで、因果関係の判断手法につき、ルンバール・ショック事件の最高裁判決(昭和50年10月24日)「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挾まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである」と判示しています。この最高裁判例からすれば、名古屋高裁判決は当然の法的判断手法を説示したと解されます。

 最高裁判例によれば、うつ病悪化の業務起因性(因果関係)についても、発病後の事情を含めた「特定の事実」からうつ病の発病・悪化・自殺という「特定の結果発生」を招来した高度の蓋然性を「全証拠を総合」して証明することになります。そうであれば、労災認定基準が発病後の心理的負荷を「特別な出来事」に限定するのは、因果関係の判断手法として最高裁判例に違背しているといえます。

 自殺に限って言えば、何らかの心理的負荷(業務に限らない)によって精神障害を発病した労働者が、発病時点では正常な認識、行為選択能力が阻害されておらず、自殺を思いとどまる精神的な抑制力も阻害されていなかったが、発病後の業務による心理的負荷を受けて自殺を図った場合は、発病後の負荷により、精神障害が、正常な認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態にまで進行したと評価できるのであり、法的概念としての因果関係の判断に当たって、これを「悪化」と評価したとしても、ある特定の事実(労働者が業務上の心理的負荷を受けたこと)が特定の結果(うつ病が増悪したこと)の発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することになります。

 このように、医学的因果関係と法的因果関係とは、その判断手法や証明の程度が異なることに留意してください。

 それでは、本件における悪化の業務起因性は、どのように判断されたのでしょうか。

 名古屋高裁判決は、「うつ病発病後の業務における心理的負荷の強度の総合評価は『強』であり、それ自体、業務に内在する危険を現実化させるに足りるものであったこと、被災者にとって、うつ病の悪化の原因となる業務以外の要因による心理的負荷は特に認められず、業務以外の些細な出来事に過剰に反応したとの事情も認められないこと、被災者のうつ病の発病に業務起因性は認められないとしても、被災者のうつ病はアピコにおける業務と全く無関係に発病したものと認められないこと」、「むしろ、うつ病を発病するまでに被災者に認められた業務における心理的負荷が決して小さくなかったことからすれば、被災者に脆弱性が認められるとしても、その程度は小さいものと推認されるし、うつ病を発病したことによって被災者の脆弱性が増したとしても、それは一面において業務に由来する部分があるともいえることを指摘することができ、これらの事情を総合考慮すれば、被災者の業務による心理的負荷と被災者のうつ病が悪化して自殺を図り死亡したこととの間には相当因果関係を認めるのが相当である」と判断しました。

 うつ病発病による脆弱性が業務に由来するとの事情も含めて全証拠を総合すると、うつ病の悪化・自殺という特定の結果発生を招来した高度の蓋然性が認められると、名古屋高裁判決は判断したのであり、最高裁判例の因果関係論から見て当然の結論を下したといえますし、「ストレス-脆弱性」理論を踏まえた判断をしたと解されます。

 労働法務においては、労災認定基準の「業務による心理的負荷表」を予防に活用することが求められますが、だからといって、うつ病悪化の場合に「特別な出来事」がなければ企業の災害補償責任が肯定されることはないと考えるべきではないでしょう。うつ病悪化についても、発病後の業務による心理的負荷の総合評価が「強」と判断される場合は災害補償責任(ひいては損害賠償責任)が認められることを前提に、自殺予防に取り組むことが肝要です。その際に重要な点は、メンタルヘルス不調が業務による心理的負荷を原因とするものかどうかは、医学的な評価とともに、法的な評価も必要となるということです。業務起因性を判断するに当たっては、医師だけでなく、弁護士も交えて、学際的に総合的な判断をする方が、企業にとってリスクを低減することができます。

 最後に、労働法務として留意すべき点を付言します。それは、自殺直前の、取締役による、営業から現場清掃に戻ることの打診です。名古屋高裁判決は、「営業活動に行き詰まっていた被災者への配慮という側面も有していたことを考慮しても、かかる打診により、取締役らの期待に応えようと努力していた被災者が、取締役らから営業社員として失格との評価を受けた、もしくは取締役らが新規事業の成功という自己に期待した役割に見切りをつけて外そうとしていると受け止め、大きな衝撃を受けた」とし、うつ病悪化と自殺に至る決定的な要因となったと認定しました。遅きに失する就業上の配慮を十分な説明もなく実行しようとしても、それは労働者の心理的負荷を軽減させるわけではないことを念頭に置かれた方がよいでしょう。


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